2013年3月11日月曜日

書かなくてもいい話


実は今日のブログのネタは、目薬の話にする予定でした。
ほら、花粉症の目薬、効き目比べとかさ。
そういうの考えてました。

そして、ここから書くのは、本当は書かなくてもいいお話なのかも知れません。
余計なお世話だ。
そう思われるんじゃないだろうか。
とも思えます。

震災から二年。
きっと地域によっては、受ける印象がずいぶん違うんだろうなと思います。

阪神大震災のときは、5年後も10年後も、事あるごとに話題にのぼるのは近畿圏だけだったと思います。
東京の子どもは、すでに知らないんじゃないかな?
でも僕たちは、今でも高速の高架が倒れてきて、数メートル違いで生き残った知人や、
震災当日の晩、被災した恋人のために車に水を積んで走り出した友人など、
やっぱり会えば昔話を繰り返すことがあります。

同じように、雪崩で大変な目にあった人や、火砕流で避難した人たちだって、他の地方の人たちでは分からない気持ちや活動があるかもしれません。

でも、きっと、海外の人なんて、次々入る新しいニュースに忙しくて、日本のことなんてすっかり忘れてしまってるだろうし、紛争など地域によっては、そんな昔話聞きたい気分じゃないと思います。
そう考えると、距離と時間って、想いを遮るというか、、、残酷ですね。

そして震災から二年。
直接的な関わりが限りなく少ない奈良県ですが、
それでも何か力になれればって気持ちはありました。

今冷静に振り返れば、本当に気持ちだけで送った置き畳。
当時はこんなんやってて、役に立ってるんだろうか?っていう手探り感が強かったです。
そんな手探りの気持ちをまとめたビデオ。



最初に作った動機は、
「この活動って、正義なの?大きなお世話なの?」
っていうのを友人知人に判断してもらうための資料づくりからでした。
だから、みんなでやろうよってメッセージになってますね。

制作の過程で
東京のプリキュアシンガーがBGMの使用を許可してくれたり、
当時は名前も知らなかった畳屋さんが一緒に泣いてくれたり、
(いまじゃあ、海外で暴飲暴食にお付き合いする仲になりましたw)
Twitterを通して、いろんなつながりを実感しながらのプロジェクトでした。


だからね、僕はTwitterに感謝しているんですよ。
そのとき善意が広がる光景を、確かに見ることができました。

あの震災から二年。
いまTwitterのタイムラインを見るとどうでしょう。
デマ、悪口、嘘。
なんだかネガティブなリツイートが増えてきたように思います。

僕の周りだけなら、それは、私の不徳の致すところ。なのかも知れません。
でも、今日って多くの人にとっては、家族や友人、仲間や恩師の命日なんですよね?
それも、相当多くの人にとって。

だからこそ、思ってしまうのでしょうか。
今日に限って、自分の政治的な主張に、被災者を結びつけなくてもええやん。
今日ぐらいは、風評被害を広めるような、心ないデマは休めばええやん。
今日からは、ノータリン丸出しの陰謀論を、嬉しそうに語らなくてもええやん。

人間ある程度の年になれば、大切な家族や友人の一人や二人亡くしているはず。
人の心があるのなら、その想いを今苦しんでる見知らぬ人と重ねあわせましょうよ。
今朝からTwitter見てて、なんだかそんな気持ちになりました。

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