戦争の惨禍から68年。
惨禍に触れた労働人口が限りなくゼロに近づいている21世紀。
戦争がいかに悲惨なものかというのを、理屈ではなく、身体感覚で感じられる人は、一体どれだけいるのでしょうか?
かくいう私も、全く分かりません。
現実に爆弾によって命を失うパレスチナの人たちと、
映画「ソウ」シリーズで惨殺されていく被害者たちと、
正直言って、映像から受ける衝撃に、それほど大きな差はありません。
好きなものを腹一杯食べて、風呂上がりにエアコンの効いた部屋で、
それこそビールなんか飲みながらの悲惨な映像。
体には何も響かない空虚な情報。
実際の戦争の映像と、娯楽として楽しむ戦争映画。
そこに一体どんな差があるのでしょうか?
リアルな戦争の記憶というのは、失われていくもの。忘れていくもの。
なんだか、そんな悲しい現実しか、残らないような気がします。
とはいえ、その惨禍を、少しは具体的に感じる場面があります。
もちろん、実際には痛みを感じる訳ではないけれど、
僕にとっては、なぜか胸が締め付けられるシーンがあります。
ユーゴ紛争。
遠く離れたこの東の果てでは、なかなか共感する事のできない、独立ー内戦の繰り返し。
目の前で「戦争の惨禍」が繰り返されてるのに、さらに繰り返される「戦争の惨禍」。
そもそも宗教上の対立もなかったグループ同士の宗教抗争。
特定のグループとして認められて(当時)半世紀がたったばかりの人たちが「民族」を自称した独立運動。
遠い国の出来事とはいえ、正直理解に苦しむ内戦でした。
東南アジアやアフリカ大陸での内戦のように、遠い国での歴史的事件として記憶されかねない、東欧の惨禍です。
しかし、サッカーという文脈を通して、僕にとってはより胸が締め付けられる争乱として記憶されました。
世界最強と言われた当時のユーゴ代表。
監督はオシム。
キャプテンはストイコビッチ。
日本に馴染みのある選手が並びます。
攻撃陣に、ボバン、サビチェビッチ、ミハイロビッチと、テレビゲームのオールスターのような豪華すぎる陣容で、議論されたのは、単なるW杯の進出ではなく、(当時前人未到だった)欧州選手権との二冠は達成できるのか?といった、異様にハイレベルな課題でした。
その最強チームから、内戦の事情で、一人辞退し、また一人去り、、、と、チームはバラバラになります。
自身のルーツを選ぶのか、生まれ育った地で生きるのか、残酷な選択を迫られたミハイロビッチは、実家が襲撃され、今でも、家に帰れない状態です。
そして突然のメンバー変更、初招集の選手でのぶっつけ予選。
エースのストイコビッチを怪我で欠いても、それでも、予選を連勝で突破するユーゴ代表。
格が違いすぎます。
原因はサラエボ包囲でした。
サラエボで生まれ育ったオシムさん。
奥さんやご家族も、当然サラエボ在住です。
これがヨーロッパでの出来事か?と目を疑うような惨殺現場が伝えられるとともに、内部とは連絡手段が断たれ、家族の生死すら分からない状態です。
それでも、誰かが助けてくれる訳ではない。
そんな惨状を涙ながらに訴えて、オシムは去りました。
もっと、悲惨な戦争はあります。
目を覆うような内戦の実態はあります。
もちろんそれも大切。
大切なんですが、身近に感じる選手たちの境遇、苦悩が伝えられた時、より現実のものと感じる事ができました。
そういう意味では、サッカーが世界に果たす役割ってたくさんあるんだな、って思います。
まだ、あの争乱から20年。
いや、もう20年というべきでしょうか。
今では、各国それぞれがUEFA加盟国としてワールドカップ予選を戦っています。
同組に入って、ホームアンドアウェーを戦った試合もありました。
もちろん憎悪の渦巻きはもの凄いものがあるでしょうが、ようやく、死傷者も出ない、ノーマルな試合ができる平和が訪れました。
また、ドイツ生まれのセルビア系クロアチア人のプロシネチキは、去年まで隣国のレッドスターの監督を、安全につとめる事ができました。
平和って尊いんだ。
今なら、あの国の人たちも口を揃えていってくれると思います。
そして、他国の終戦をみないと、平和を学べないぐらいに、僕は平和ボケしてるんだ。
と、改めて実感しています。
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